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私が与えられた運命

 投稿者:岩佐 香菜美メール  投稿日:2010年 3月21日(日)01時07分40秒
返信・引用
  私にはお父さんとお母さんはいない。

母の顔は見たことない。
声も聞いたこともない。

私が生まれる前父と母は17歳
母はとても遊び人で父はとてもまじめな人で
二人は父の方の祖母の家でくらしていた。
しかし母は掃除もしない、ご飯も作らない、脱いだ下着はそこらへんに脱ぎっぱなし、父の妹や祖母のものを勝手に盗む。
そんな母に祖母は激怒し、母の方の祖母に相談した。
しかし話は噛み合わず、口論となった。
父方の祖母は二人の付き合いに反対した。
ある日、二人は反対する祖母から逃げるように神奈川へ行った。
逃げたのではなく、母方の祖母が勝手に行かせた。
なぜか?私がおなかの中にいたからである。
父方の祖母がそれを聞けば反対すると考えた母方の祖母は二人を神奈川へ行かせたのである。

二人は神奈川の牧場で働いていた。
そんな中私は生まれた。父と母が17のとき。
しかし、私は望まれて生まれたのではなく
仕方なく生まれたのだ。
母は17歳にして子供を3人おろしていた。
だからもうおろせない体で生むしか手段がなく、仕方なく私が生まれた。

私が生まれたと父から聞いた父方の祖母はないお金をひたすら集めて神奈川へ飛んできた。
その頃には私は自分でハイハイが出来るようになったころ。
祖母が玄関を開けると家中ゴミだらけで
そんな中で手ずかみでご飯を食べている私がいた。
顔は赤くただれていて、明らかに放置されていることが感じられた。
祖母は泣いた。
自分の孫がこんな思いをしているなんて…

祖母が私の名前を呼ぶと嬉しそうにハイハイしながらそばに来た。
祖母は一週間いる予定だったが、母のだらしない姿を見て愛想を尽かし3日目に帰ると父につげた。
しかし父はまだ18歳寂しいのは当然。
祖母に泣きながら帰らないでと訴えた。

祖母が帰った1ヶ月後父からの電話があった
ミルクを買うお金がない。祖母は不思議に思った。
父は一生懸命働いてお金もためていた
なのになぜ?原因は母だった。
仕事も休み私の世話もせず
父がためていたお金で遊んでいた。

祖母は我慢できなくなった。
こっちに連れ戻そう
祖母は決めた。

こうしてまた祖母の家での暮らしが始まった。

ある日のこと。父と祖母と祖父は仕事にでかけ父の妹は学校
母は家で私と二人。
父が帰ってくるとベッドには母と知らない男が裸で寝ていた。
その横には私。
父はもう耐えられなかった・・・

こうして二人は離婚した。

私が2歳の時父は他の人と再婚した。
再婚した相手にも一人の女の子の連れ子がいた。

父と義理母と私と義理姉での4人での生活が始まった。
なに不自由なく幸せに生活していた。
私が4歳のときに弟ができた。
その日から地獄のような生活が始まった。

義理母は子育てのストレスを私にぶつけた。
しかしそれはエスカレートし虐待へと変わった。
私がされた虐待の数々を教えましょう。

ご飯は一口しか与えられない。
お菓子は私だけ一切もらえない。食べようとすれば殴られる。
一日中家で一人ぼっちにさせられる。まだ子供の私はもちろん夜になっても電気はつけられない。
山に一人置いてきぼりにさせられる。
時計で頭を殴られ、壁に投げつけられ
骨折する。
手首を包丁で切られる。
洗剤が入った水を飲まされそうになる。
真冬に何時間も裸で外に出される。
裸でガムテープで手足を縛られ口をふさがれ
何日間も寒い押入れに閉じ込められる。

父は全く気づいてなかった。
むしろ父まで私を殴った。
私はそんな生活を小学2年生までたえた。

父が気づいたのは私が骨折した時。
私は虐待されていることを告げた。
父は二度目の離婚をした。
私と父は祖母の家へ戻った。
祖母の家にいる時は私は幸せ。

それから2ヶ月。
朝起きると父の姿がなかった。
祖母に聞くと
「すぐ帰ってくるよ」とだけ言ってそれ以上なにも言わなかった。

何ヶ月経っても父は帰ってこない。
祖母に聞くと
やっと真実を言ってくれた。
「パパはどこか違う所で暮らしてるんだよ。」

私は幼いながらでも理解はできた
 私を捨てた
と…

私は毎日お父さんの帰りを待った。
しかし帰ってはこない。

学校の親子参観。
仕事で忙しい祖母と祖父は
毎回来ることができない。
だから変わりに先生が親の代わりをする。
周りは楽しそうに親子の会話をしている
なんで私だけ…
いつの日かそう思うようになった。

祖母と祖父に育てられ私は9歳
ピンポーン
家のチャイムが鳴った。
ドアを開けるとお父さんがいた。
私は状況が把握できなかった。
なぜいるのか
なぜ帰ってきたのか
父はお金に困り帰ってきたという。
例え私を捨てた父でも私にとっては一人だけの大切な父。
とても嬉しかった。

親子参観の時初めて親が来た。
父は周りの親よりずば抜けて若い。
親子でソフトボールをやった時も一番輝いて見えた。
友達にもとてもうらやましがられ
見返せたきがした。
短い期間の中で父は私をいろいろな所へ連れて行ってくれた。
水族館や、海、公園や、博物館、ドライブもたくさんした。
遊びにいかないことはないくらい
毎日のようにでかけた。
でも…
朝起きるとまた父の姿がなかった。
祖母に聞くと
パパはお前とお母さんが同じ顔してるから見てるだけで嫌になるって言ってた
と言われた。
私はショックだった。
あんな最低な母と一緒の扱いをされたのが…
私は一生祖母と祖父を親とする事を決めた。
父には期待しない。

中学3年生の夏
友達と祭りに行ったあと花火をやった。
もう門限時間の9時が過ぎていて
祖母から何件も不在着信があった。
さすがにヤバイと思った私は家へ向かった
友達は左方向が帰り道で私は一人だけ右方向だった。

夜で暗くて電柱も少ない。
怖くて私はケータイで歌を聴きながら足元がうっすらとしか見えないので自転車を押して歩いていた

ゴツッッ
何かが頭にあたった
その瞬間真っ暗になった。
目を覚ますと辺りは真っ暗で海の音が聞こえた。
私の上に誰かがいる。
痛いっっ!
初めてあじわう痛さ
頭がボーっとして動けなかった
ただ呆然と涙でにじんだ空を見ていた。

男は終わると去っていった。
顔は暗くて何も見えなかった。
ただタバコとコーヒーの混ざった匂いだけ鼻に残っていた。
立ち上がると子宮にありえない程の痛みがはしった。
痛さをこらえながら家へと向かうと
さっきの道に私の自転車が転がっていた。

「早く帰りたい」「怖い」
と思った私は痛さをこらえてひたすら自転車をこいだ

家につくと私の学校の先生の車が止まっていた。
しばらくの間玄関で一人泣いていた
すると祖父が家から出てきた。
祖父は私が泣き逆っている姿を見て驚いていた。
家に入ると先生と祖母がいた

祖母はものすごい剣幕で私をどなりつけて殴った。先生はそれを必死で止めた。
祖母はわたしのズボンのチャックが開いているのを見て気がついた。
レイプされたと。
それから私は警察にいき
学校は出席停止で1ヶ月間も警察署で取り調べがわたった。

犯人は捕まった。
初めてミラー越しに犯人の顔をみた
でもどこかで見たことがある。
犯人は私の叔母24歳の同級生であり叔母が中学の時に付き合ってた人だった。
祖母は私のためを思ってか
隣の町へ引っ越す事を決め
私は毎日朝6時30分のバスで中学へ通った。

それから約3年後

今私は高校3年生になる。
祖母と祖父と叔母と一匹の猫と幸せな毎日を過ごしている。
でも祖母と祖父は仕事で居なかったり
出かけることが多い。
叔母も夜中に帰ってくることが多い。
寂しいけれど、それでも毎日幸せに暮らしています。

この事全てを理解して私と付き合ってくれている彼氏とも、もう1年以上です。

私は思います。
今までの色んな出来事があったからこそ
こうして色んな友達とも出会うことが出来て、愛する人にも出会えた。

だから自分の過去が恥ずかしいだなんて私は思いません。
私を捨てていった母や虐待をしていた義理母や私を傷つけた犯人はとても憎いです。

でも考え方が可笑しいと思うかもしれませんが、
この人たちが居たからこそ
今の幸せな私が居るの思っています。

生んでくれた母に感謝しています。

2歳から小学2年生まで育ててくれた義理の母に感謝しています。

こんな私を理解してくれる彼氏に感謝します。

本当の子供でもない私を本当の親のように育ててくれた祖母・祖父に感謝しています。


ありがとう…
 
 

おかきの試食

 投稿者:大槻メネット  投稿日:2010年 3月20日(土)00時02分19秒
返信・引用
  メネット例会にはメン、ゲストの皆様のおかげで無事終わる事ができました。感謝です。早速、メンのフアンドおかきを色々試食しましたが、吉野ワイズお勧めの電子レンジでの1分で大変身です!美味しいです!素朴で安心のこのおかき!ぜひ、お試しください!  

合同祈祷週集会

 投稿者:加藤俊明メール  投稿日:2009年12月28日(月)15時04分35秒
返信・引用
  「合同祈祷週の集会」というとどうしてもお祈りをする会のようなイメージがあり、参加者が集まり難いというので今年は、「YMCA・YWCA合同企画プログラム」と言う事で「祈祷週」という言葉を出さないようにして取組んだ今年の祈祷週でした。しかし当日の参加者は例年と余り変わらない結果となりました。今年の合同祈祷週のテーマは「いま地球市民として生きるために」でしたので今年の京都でのプログラムでは、世界の食糧問題を取り上げ、FAO(世界食糧農業機関)の報告によると世界の飢餓人口が10億人を越えた今、世界の飢餓の問題に対してわれわれとしてどう取組むかと言う事を共に考えようと、日本国際飢餓対策機構の啓発総主事の清家弘久氏に来ていただき話を聞く機会を持ちました。
 講師の清家さんは、プロジェクターを用いて今世界で起こっている飢餓の問題について環境問題から、民族紛争、経済問題と複雑に絡み合った事がらに触れながら丁寧にお話されました。
 当日の出席者は30名程度で参加した人には大変勉強になり、また日ごろの生活を振り返って考えさせられるお話しでした。
 

京都YMCAクリスマス

 投稿者:加藤俊明メール  投稿日:2009年12月28日(月)15時03分13秒
返信・引用
  京都YMCAでは今年も12月の会員クリスマスを挟んだ1週間会館1階のロビーを使って毎日日替わりで様々な音楽を提供するロビーコンサートを行いました。
 京都大の学生による弦楽四重奏、京都ノートルダム女子大の学生によるハープ演奏、女性ゴスペルグループのゴスペルミュージック、プロのハーモニカ演奏者によるハーモニカ、京都ノートルダム女子大の学生によるハンドベル演奏と最終日は浦上ご夫妻によるシャンソンと今年も盛りだくさんの内容で楽しむことができました。
 聴衆の多い日少ない日はありましたが、出演者のファンや知人、三条通を歩いていてふらっと聞きに来た人など、京都YMCAの会員以外の方にも多く来ていただき楽しんでもらうことができました。まだまだ市民に浸透していませんが、少しずつでもこの催しが市民に認知されてクリスマス期間に京都YMCAに足を運んでもらえるきっかけになればと思います。
 12月18日(金)は、恒例の会員クリスマスとキャロリングが行われました。ノートルダム女子大学の学生によるハンドベルのロビーコンサートが始まると続々とワイズメンなどの会員や国際リーダー、毎年参加を楽しみにしているメンバーたちが集まりはじめ、80名近い人々で、後のほうでは座れない人たちが出るくらいでした。
 クリスマス礼拝は、明かりを消した中ペンライトを灯してのキャンドルサービスで始まり、関西セミナーハウス活動センターの所長の春名康範牧師によるクリスマスメッセージは「こられるキリスト」と題して子ども達にも分かりやすく語りかけていただきました。
ロビーコンサートが終わったあともハンドベル演奏の方々にも残ってもらい、礼拝の中で讃美歌を演奏してもらい、ベルの音の鳴るクリスマスらしい雰囲気のある礼拝となりました。
 そのあとのキャロリングは寒い夜の街を白いガウンをきてペンライトを持ち讃美歌を歌いながら市民の皆さんにクリスマスの訪れを伝えて回りました。以前は、クリスマスにキャロリングをやっていた教会も近年はやらなくなったところが多く、街中でキャロリングを行っているのはYMCAくらいになってきています。その意味でも今後も続けていくことが大切な行事になってきていると思います。
 

オータムフェスタ 2009

 投稿者:大石正一郎  投稿日:2009年12月27日(日)09時55分45秒
返信・引用
   2009年11月15日(日)11時 今年もリトセン宇治で、オータムフェスタが開催されました。昨日までのぐずついた天気でしたが、この日は、まずまずのフェスタ日和でした。ただ、七五三などの日と重なり、若干参加者が少なく感じました。我がセンチュリークラブは、メン、メネ、コメ、ゲスト合わせて7名の参加で、焼き芋の出店でした。今年は、各クラブ結構ボリュームの有るメニューが多く、何時も即完売する焼き芋も若干残りました。でも、まずまず無事終了致しました。残った焼き芋は、各自持って帰り食べました。おいしい焼き芋に感謝いたします。参加された皆様ありがとう御座いました。物事は、タイミングが大事だと言う事を再確認し、なかなか思う様にいきません、それが人生、それが面白いのかも知れません。  

Xmasファミリー例会

 投稿者:岡見弘道  投稿日:2009年12月26日(土)02時16分56秒
返信・引用 編集済
   12月18日(金)、例会場のザ・パレスサイドホテル2階宴会場にて、京都センチュリーワイズメンズクラブの12月ファミリー例会が開催されました。当日は、小さなお子様を伴ったご家族も参加いただき、3歳から87歳の幅広い年齢層が集い、ファミリー例会らしい雰囲気の中、なごやかに時間が過ぎて行ったと感じられました。久しぶりにお顔を拝見した本島ワイズは、お体のことが案じられましたが、いつもの愉快なオジサンで少し安心。一方で、志賀会長のご挨拶はご自身の入院のことを話され、メンバーのそれぞれの身に何かと起きていることが実感され、Xmas例会に参加し楽しめることはほんまにありがたいことです、と心底思い感謝でした。素敵な歌声と演奏を提供したくれたu-fullのゆかさんとおてらさん、音響の和音堂のハセヤン、子供たちにプレゼントを準備してくれた片山メネットさん、若さあふれるサンタさんとヘルプのワイズメンさん、例会プログラム印刷やネームカード、テーブルに置く可愛い目印などを作成していただいた大槻ワイズ、準備に多大な労力を提供していただいた吉田書記さん、司会の赤松ワイズ、後片付けを手伝っていただいたワイズメン、そしてわざわざご参加の皆さま方、全員に感謝感謝のXmas例会でした。  

ロビーコンサート「愛の競演」

 投稿者:吉田忠文  投稿日:2009年12月20日(日)15時54分22秒
返信・引用 編集済
   YMCA会員クリスマスイベントの一環として行われているロビーコンサートも今年で五回目、最終日の19日夜、当初から出演され奉仕されている浦上氏。今年もご夫婦揃ってのご登場とあいなりました。百戦錬磨息の合ったステージなんですが、今年は何故か余裕の雰囲気でした。バッチリのハーモニーとバランスに「これも僕の愛情の賜物でしょうかね。」と一言のあと、言わなきゃいいのに「愛なんてなかったのかでしょうかね」といつもの悩ましき毒舌。みんなの前ではアレこれ強がりをいっておりますが、お家では愛情どっぷりの夫なのがバレバレですよ。浦上さん。

http://戸

 

ブリテン巻頭言原稿(案)

 投稿者:生川慶一郎メール  投稿日:2009年12月12日(土)06時30分40秒
返信・引用
  吉田様

いつもお世話になっております。
大変遅ればせながら、巻頭言の原稿を作成しました。
内容については、全く持って心配ですので、一度ご確認
いただけますでしょうか。
うまくファイルが添付出来ませんでしたので、
以下にテキストを貼り付けました。

お手数ですがよろしくお願いいたします。


「35歳、これまでを振り返って」 生川慶一郎

2008年1月に33歳の若造でありながら入会させて頂いたにも関わらず、翌月の2月から親友の選挙を手伝うべく三重県に行ってしまい、その後1年8ヶ月もの間、出席できませんでしたことを、まず、深くお詫び申し上げます。また、このようなブリテンの巻頭言をお任せ頂き誠に僭越ながら感謝しております。
これまで調査研究に関する論文は幾度となく執筆してきましたのでその要領はつかんでいるつもりですが、今回のような機会は初めてです。何をテーマにと考えていたのですが、所詮35歳の若造で、経験も浅く皆様に興味を持っていただけるような見識も当然のことながらありませんので、有りのままの自分を振り返ることに致しました。ふと、自分のこれまでの大事件は何であったかと思い出してみると、相当回り道をしていることに改めて気づかされました。「機械工学科から建築工学科へ転科」、「博士号を取得するも企業就職」、「師事した教官の教授選敗退」、「同級生の衆議院選落選」など。これらの一つ一つを見れば残念な境遇かもしれませんが、よくよく振り返ってみるとそれぞれの事件が転機となってすばらしい宝物を頂いています。「機械工学科から建築工学科へ転科」では、大学院に合格するため独学で建築を学ばなければならず、1日16時間、大学4年生の5月から9月までの4ヶ月間1日の休み無く勉強しました。このとき、初めて自らの意志で人生を決断し、それが今の活動の原点となっていること。「博士号を取得するも企業就職」では、大学教員を目指すのであれば研究室に残るのが定石であるにも関わらず、社会を経験したいと企業就職してしまったからこそその当時は?生活が安定しており今の妻とご縁を頂けました。「師事した教官の教授選敗退」では、大阪に居られなくなったことから、京都大学の高田先生のご紹介で(財)京都市景観・まちづくりセンターに勤務することになり、言うまでもありませんが立誠まちづくり委員会にて岡見さんに出会うことができ、更には京都センチュリークラブという心温かいメンバーばかりのワイズメンの一員に加えていただいていること。最後に最もインパクトがあった「同級生の衆議院選落選」では、11月の例会でも稚拙ながらお話させていただきましたが、約1年半の間に10000人以上の人に会うという常軌を逸した生活を通して、人生の縮図、様々な価値観を学ばせていただいたこと。このように挙げ出しますときりがありませんが、本当に自分が幸せ者であることに感謝しないといけないと想っています。また、このように心広くいられるのは、幸せな家族あってのことですので、妻と息子には改まると恥ずかしいですが「ありがとう」と伝えたいです。
最後は、感謝の言葉になってしまいましたが、この感謝の気持ちこそが最も大切だと想っています。これまでご縁をいただいた多くの方々に感謝しながら、また新しい出会いに巡り会えますことを楽しみに頑張っていきたいと想っています。
 

ワイズデー報告

 投稿者:上坂ワイズ  投稿日:2009年11月23日(月)20時41分50秒
返信・引用
  HIV/AIDS あなたに伝えたいこと 他人事意識が予防の妨げに と言うタイトルで11月1日午前10時から ひと・まち交流館にて報告が有りました。当日はエイズ予防対策協議会の江崎久美子さんの講演で現在のエイズに対する生々しいお話をお聞きしました。最近世の中には”出来ちゃった結婚”などが非常に多いので ウチの次男に是非ともこの際このお話を聞かせたいと思いアピールしたのですが残念ながら仕事の都合と言うことで断られてしまいました。講演の内容はかなりショッキングなもので以前にも聞いたことは有るのですが 改めて驚いた次第です。なかでも特に印象に残ったのは 先進国では日本のみ患者が増えている事とか その治療費にはひと月30万から80万円死ぬまでかかってしまうとか 毎日世界中で8000人もの人が亡くなっているとか 去年日本での罹患者は1500人にのぼるとか まるで信じがたい内容のお話でした。これはもう本当に他人事ではないと言う危機感をもって 健康の有り難さ 何も無いこと 平凡な日々の感謝をもっと持たなければいけないと言うことをあらためて感じた1日でした。  

京都部EMCシンポジュウム

 投稿者:志賀 昭夫  投稿日:2009年10月26日(月)00時02分5秒
返信・引用
   10月16日(金)、平井EMC委員長と二人で参加しました。
 部の目標として「555名」達成を掲げて取組みが行われてきましたが、伸び悩んでいることから、再度、各クラブの意識付けを行うために開催されたものです。
 山中部長の挨拶、高倉主査の主旨説明から始まり、クラブの取組み事例として、パレスクラブとトップスクラブから発表がありました。
 引き続いて、大野嘉宏ワイズ(パレス)の「高い志と、熱き思いで行動を!~ワイズの理念、クラブの理念の再確認~」と題した講演を受けた後、参加者68名が8テーブルに分かれて食事をしながらのテーブルディスカッション。その内容をテーブルごとに発表。質疑を受けて、廣井EMC事業主任のまとめと講評がありました。
 あっという間の150分、されど、それなりに意義のある時間でもありました。
 どのような組織にも自然の増減(入退会)はありますが、ワイズのような組織には、自発的な入会は極めて少ないと思います。任意であり、経費(会費等)負担、人的負担があることから、積極的な勧誘なくしてメンバーの増強はありえないと言っても過言ではないと思います。
 組織を維持・発展させて行かなければ、必然的に衰退して行くことも自明の理でもあります。個々のメンバーが高い理想を持ち、全員で入会者を募るこは理想ではありますが、これにも限界があります。クラブに所属することに対する価値観に大きな温度差があることも現実であり、必然的にEMCに対する取組みにも個人差があります。
 私は、ワイズの原点は「奉仕」であると思っていますが、最初からその思いで入会する人はほとんど居らず、その思いで入会した人は「奉仕は活動の一部」であることに直ぐ気付くと思います。現実に、そのためにしばらく経ってから退会した人も少なからずあったようです。
 原点の前段にあるもの、個々のメンバーを繋いでいるものは「交流」である、「異業種交流」は人の繋がり、繋がりを通じて「自らを高める」ことによりワイズとしての意識も高まってくる。その上で、繋がりを高める一手段としての「奉仕」の精神も培われてくる。
 こんな内容のシンポジュウムでありましたが、私自身を振り返ると、10数年の実質休眠状態があっても居続けてきた理由は、やはり繋がりであり「自分が置かれている現状とは異なる世界に居る仲間から得るものが多い」からであると思います。
 同業者の集まりには一定の共通の土俵があります。それは「縛り」であり「競争」であることから「交流の限界」を感じずには済まされないことが多くあります。
 ワイズにはそれが無く自由ですが、自由であるが故に「温度差」は避けられません。従ってEMCの取組みにも個人差があるのは当然とは言うものの、組織である以上それだけで済まされないのもまた当然と言えるでしょう。
 15~20名という数字は「仲良しクラブ」的には意義のある数字だと思います。その人数だから「皆仲良し」で居られるとも思います。まず、この意識から脱却しなければEMCには結びつきません。一人ひとりの価値観、意識の多様性と組織のあるべき姿を葛藤させるのもまたメンバーの責任であろうと思います。私自身にも言い聞かせながら、もう一度考えてみたいと思うシンポジュウムでした。
 消極的な思いで、リーダーとして相応しくない発言でもあると思いますが、敢えて素直に投稿させていただき、皆さんのご批判を仰ぎながら、皆が考えていくことができればと思っております。
 現役時代に「これでいいと思ったときから進歩がなくなる」と考え、自らを叱咤激励したことを思い出しております。
 

白川学園 夏祭り

 投稿者:山崎育男  投稿日:2009年10月 8日(木)16時20分59秒
返信・引用
  今年も猛暑の中、8月23日(日)センチュリークラブ各事業のトップバッターとして地域奉仕事業(白川学園夏祭り)を実施しました。今年は例年より保護者の方々のご参加が多く、我がセンチュリークラブのウインナーはナンバーワン人気、200本がたったの一時間半で完売となりました。参加者の志賀会長、赤松直前会長、吉田書記、大槻会計、片山ファンド(委)、大石Yサ(委)、山崎地域奉仕(委)暑い中ご苦労様でした。

http://戸

 

こんなんで委員会

 投稿者:赤松悦治  投稿日:2009年10月 6日(火)14時54分47秒
返信・引用
   今回はとてもまじめな交流委員会です。毎年恒例の宮崎チャリティーコンペですが今年はそれぞれに事情を抱えており、日程の変更のこともあり今年は断念することとなりました。
 この日を夢見てきた私にとっては大変残念でなりません。次の機会にしたいと思います。
 宮崎の皆様にはぜひ京都に来ていただいて交流をとお断りいたしました。
 場所を移して杯を重ねるうちにIBCの話で盛り上がり、ジャマイカ、ハワイ、韓国とある中なぜか地域限定で済州島のクラブということになり、早速国際の方へ依頼することとなりました。出来れば今期片山交流主査任期中にうまく運べばと願います。早期締結!!、早期交流!!
 

ファンドにコツコツ出品ください

 投稿者:志賀 昭夫  投稿日:2009年10月 2日(金)00時11分33秒
返信・引用
  ファンド低迷の現状を打破してみたいと「リ・ユース」ファンドと銘打って、8月例会から
試行してみました。
商品は、メンバーが「無償で提供していただく」ことのみで、特段の条件は設けません。
<例えば>
 ○各家庭にある「面白いもの・あったらいいもの」などで、我家ではもういらないもの。
 ○キャンペーングッズなどで、なかなか手に入らないもの。
 ○小物・日用品・玩具・その他
高額でなくても結構です。とにかく提供をお願いします。
購入価格は、原則として購入者が決めていただきます。(一品50円以上で)
何でもいいから「持ち寄って」欲しい人が買ってください。
最低価格は「50円」を目途にしています。それ以上が望ましい場合は、提供者が現品に表示して出品してください。
ファンドの主旨からはメンバー間のやり取りであり好ましいものではないかも知れませんが、メンバー外からの提供者を探すことも一つの方向として今後の検討課題にしていただければとも思います。
「ファンドの強化」は今期の課題の一つです。小さなことの積重ねも大切と思います。
メンバーの皆様のチャレンジに期待いたしております。
なお、あくまでも私の提案での試行ですから、任期中の商品管理と搬入・搬出は、私が責任を持って行いますので、ご理解ください。
 

京都部部会

 投稿者:平井 一郎  投稿日:2009年 9月28日(月)10時59分19秒
返信・引用
   秋晴れの下、9月13日(日)二条城近くの京都全日空ホテルにて、第14回京都部部会が、ホストクラブ洛中クラブのもとに、全国から468人が集まり開催されました。
 第1部式典では、来賓として門川京都市長が挨拶され、その後、神崎総主事、鈴木西日本区理事が、それぞれ祝辞を述べられ、又、各セレモニー等が有り、式典が終わりました。
 第2部講演では、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の横田 滋さん、早紀江さん御夫妻による、「ブルーリボンに願いを込めて」のテーマで話され、その中で国民の皆さんが関心を持ち続け、民主党政権になり、政治的な外交活動で、これからに期待したいと語られました。
 

リトセン秋準備ワーク

 投稿者:大石正一郎  投稿日:2009年 9月21日(月)10時59分52秒
返信・引用
   9月5日、17時30分、YMCAリトセン宇治にセンチュリークラブのメン、メネットが集まり、9月6日の昼食当番のカレー作り約150人分に、とりかかりました。
なにせ、初めての体験で、どう成る事かと思いきや、流石センチュリーあ・うんの呼吸で手際良く役割分担し19時頃に、約150人分のカレーの下準備と試食用のカレーを仕上げ、皆で夕食にカレーを試食しました。なかなかの物でした。その日は泊まり、明日に備え本島ワイズを囲み、明日に備えての作戦会議でした。
 9月6日、9時30分、YMCAリトセン宇治で秋準備ワークが始まりました。私達も新たに2名のワイズメンバをー加え、カレーの仕上げ、配膳にとりかかりました。15時頃に片付けが、終わりまずは、大成功でした。カレーの評判も、良かったと言う声も多く聞かれ満足でした。2日に亘りメン・メネットの皆様御苦労様でした。ありがとう御座いました。
 一つの目標に向かって、センチュリークラブのメンバーが一つに成り、何かを行い達成すると言う事は、私は何か、美しくまた今まで以上強い絆が、生まれる物だとおもいます。
まだまだYMCAの行事は、続きますが皆様、会長と一丸となって乗り切って行きましょう。2日間参加人数延べ18名でした。本当に御苦労様でした。
 

京都部部会の懇親会にて

 投稿者:上坂ワイズ  投稿日:2009年 9月20日(日)22時02分42秒
返信・引用
  今回の部会は ウチの家のすぐ近く京都全日空ホテルでの開催で 欠席すれば ひょっとして呼びに来られても困るということで 夫婦揃って出席しました。広報委員長の本島ワイズから当日の懇親会についてコメントするようにとのご指示でしたが 演奏やアトラクション それにアピールタイム等 色々有ったようですが 酒の酔いがまわっていた精か ほとんど記憶にゴザイマセン。そんな事より部会では同業の方や お知り合いの人 それに昔 会長会でご一緒した方等 懐かしい顔が有ったので いろんな とりとめの無い話や情報交換等 相手をカラカイながら 結構楽しくやらせてもらいました。今回の部会で なんと言っても一番印象深かったのは 横田ご夫妻による拉致被害者のお話でした。国家の犯罪とも言うべき こんな理不尽な事が 現代に有って良いのかという憤りすら感じました。横田早紀江さんは 僕の堀川高校での先輩でもあり 献金や同情以外にどのような形で応援したらよいものか 具体的な方法が見つかりませんが せめて解決の糸口が見つかるまで 健康で居てもらいたいと願うばかりです。8時半頃 すっかり夜は過ごしやすくなった中 吉田ワイズや平井ワイズと一緒に 夫婦共々 転げながら帰宅致しました。  

8月例会

 投稿者:ドライバー岡見弘道  投稿日:2009年 9月11日(金)13時36分54秒
返信・引用 編集済
   8月例会は、8月30日(日)に行われる第45回衆議院選挙について、ゲストスピーカーに産経新聞大阪本社総合編集部長の近藤真史氏を招き、「決戦総選挙の予測、自民か民主か?―どうなる選挙後の政局―」というタイトルでお話しをうかがった。近藤氏は前回平成17年の衆議院選挙、平成19年の参議院選挙の際に、東京本社編集局選挙対策本部長として、産経新聞選挙報道の責任者をつとめた方で、時宜を得た講師となった。この日までの大手の新聞の予想では、民主党の大勝が伝えられる(産経新聞は8月22日・23日に実施、結果は24日月曜日記事に掲載予定)が、おそらく政権交代は起こるであろうこと、その後の政局はなかなか動きづらいこと(細川政権の時と似ているとの指摘)、来年平成22年夏の参議院選挙の結果次第では、政界再編が起きるとのこと、官僚支配打破には政治家の側に優れた政策立案能力が必要なこと、などを説かれた。麻生自民は、失言や失敗を重ね、あまりにも勢いがないこと、民主党の「マニフェスト」もいろいろと突っ込みどころがあるのに、自民党の戦略ミスで優位にはとても立っていないこと、小澤一郎氏はやはり選挙では凄腕を発揮する人物で、今の自民党では、とても太刀打ちできないであろうことを言外にほのめかされた。ただし選挙は「水もの」である故、残り十日で何が起きるかは、選挙予想のプロでもわからないと締めくくられた。それと、政権交代がなされたあと、国民はある程度がまんをして民主党の政治を支えていかなければいけないのではないか、との言葉が印象的であった。氏の予想では、民主党は280議席~300議席あたりではないかと幾分控えめであった。(結果は民主党308議席で、いっぽう大敗した自民党は大物俗議員たちのゾンビ比例復活により再生がより困難になっちまいました、権力欲だけが異常に強く責任感のほとんどない連中ですなぁ!!)お話のあと、氏との質疑応答が活発になされたが、やはり今回の衆議院選挙に対する関心の高さ、あるいは現在の日本の政治に対する関心の高さを表す内容と私は受け取りましたが、ご出席の皆様はどのように感じられたでありましょうや?小泉純一郎元首相(彼の息子に投票する選挙民には、あきれはてまする~)が、まさにほんまの意味で「自民党」をぶっ壊すことになろうとは、4年前にはどの政治評論家も言ってなかったですなぁ。  

クラブ総会・会長引継ぎ式

 投稿者:片山吉章  投稿日:2009年 9月 9日(水)16時43分4秒
返信・引用
  7月7日七夕の日に厳粛なる雰囲気の中総会並びに会長引継ぎ式が執り行われました。
総会においてはいつもながら関心するのですがきっちりなされていて(当然なのかもしれませんが)上場企業さながらの株主総会の様子であります。
会長引継ぎ式においては私が司会進行をさせていただいたのですが本当に対照的な雰囲気があり、直前会長はほっとした顔をされていて新会長は非常に引き締まった緊張感のある顔をされており私もつい自分の会長時代(今から約15年前)を想い出しました。
赤松直前会長一年間お疲れ様でした、志賀会長今期一年間どうぞよろしくお願い致します。
 

カレー大作戦

 投稿者:大槻 信二  投稿日:2009年 9月 8日(火)15時43分36秒
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  ジャガイモの皮むくの、包丁が使いにくかったらピーラー使いや。ピーラーてなんや?
ドタバタで始まったリトセン秋ワークの昼食担当。切っても切っても減らない材料に右往左往。それでも、何とかなる所が、センチュリーらしいなどと思っている内にカレーらしいもの?が出来上がってきます。紅一点の岡見メネットと、本職の吉田ワイズの指示を頼りに、下ごしらえ完了。味見を兼ねた夕食は、そのままY サ研修会の様相になりました。
翌日の本番では、11時半からの約1時間、頭も上げられぬ戦場の様でしたが、お替り続出に、内心ほくそえむメンバーでした。
 

2年ぶりの熊本

 投稿者:志賀昭夫  投稿日:2009年 7月 5日(日)16時48分32秒
返信・引用
  40数年ぶりかと思ったら、実は2年ぶり。次男の結婚式のあと、阿蘇の雄大な事前を満喫しようと思ったら、10数年ぶりの北九州の雪。雪一面の草千里は面白くなかったことを思い出した。
今回は40数年前と同じく真夏と間違えそうな超好天。暑くて暑くてビールが恋しくなるばかりでした。
西日本の各地から800名を超えるワイズとその関係者が集う。地元関西とは異なった雰囲気があちこちに溢れており、やはり「日本は広い」と感じたものでした。
京都からは新幹線を利用して半日以上の行程は、ゆったりとしているとは言え、やはり疲れを感じ、否が応でも年齢を感じることもまた事実。
前日に到着して、深夜までの「桜」のフルコースを満喫して、翌朝目覚めたときに「いなないた」人がいたとかいなかったとか。
大会の大部分の行事にも参加し、DBC宮崎クラブメンバーとの交流も充実。「楽しみ」と「疲労」が同居したままで、帰路は「爆睡」と「喫煙」の繰返しでした。
熊本に集われた多くの仲間に感謝!同行していただいたクラブメンバーに感謝!旅程の100%をお世話になった大槻ワイズに感謝。そして、母の様態の急変を知らせる電話がなかったことにも感謝!14年あまり継続している緊張感からすれば「つかの間」ともいえる休息に感謝した3日間でした。
 

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